景気が良いと風評を流しながら、口封じと資金の封鎖、そういった法
整備を急いでいるわけを皆さんはご存知だろうか?
よほどの極楽トンボでもないかぎりは、すでに気がついていることだ
ろう。
そもそも自営の周旋屋の日常会話レベルの内容が、あたかも素晴らし
い発言で瞠目に値するとでもいうかのような、大騒ぎになりベストセラ
ーになってしまうような現代では、出来レース、選挙では投票だけさせ
といて入力済みの結果をコンピューターで打ち出すなんざ当たり前のこ
とで、どこの田舎でも昔からあったイカサマではある。
イカサマ・愚行ばかりやってるうちに興味の失せた選挙民の投票率は
下がり、ますます操作しやすい間抜けばかりが残るという、これもまた
予定通り、われわれ周旋屋が昔から人タラシに使っている初歩的な術の
範疇にはいるセオリーだ。
http://ameblo.jp/koteginza/entry-11733858225.html
全国会議員の特定秘密法の採決での投票行動一覧 http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/7c33c8e6df6094ee4437308c2d184a83
安倍政権が加速するNHK完全支配と受信料強制徴収
日本政治を歪めている最大の原因のひとつとして、日本のマスメディアのあり方がある。
メディア・コントロールとメディア・リテラシー。
この二つがキーワードであると考える。
メディア・コントロールとは、政治権力がマスメディアを支配し、情報操作を展開することである。
メディアの側が権力に迎合せず、社会の木鐸として政治権力に対して、批判的精神をもって報道を展開すればメディア・コントロールは実現しない。
しかし、残念なことに、日本の主要マスメディアは、一部の例外を除いて権力迎合的である。
マスメディア自体が既得権益勢力の一部を成している。
主権者である国民が入手する情報の多くが、マスメディアから提供される。
その主要パイプであるマスメディアが流す情報が汚染されているから、主権者国民が汚染されてしまう。
日本でもっとも重要な除染作業は、マスメディアの情報汚染を取り除くことである。
もうひとつの問題がメディア・リテラシーである。
メディア・リテラシーは、メディアが提供する情報について、その真贋、本当とウソを正確に読み抜く力のことである。
メディアが汚染情報を流布しても、情報を受け取る主権者の側が覚醒して、ウソの情報を見抜き、これを排除できればメディア・コントロールは実現しない。
歴史作家の塩野七生氏が『ルネサンスとは何であったのか』において、
「ルネサンスとは一言で言うと、すべてを疑うこと」
と指摘している。
すべてを疑い、自分の目で見て、自分の頭で考えること。
これがルネサンスをもたらした、あるいは、その行動変革がルネサンスそのものであるとの考えを示している。
日本の主権者国民は、マスメディアが流布する情報を「鵜呑み」にしてしまう傾向が強いと言われる。
青山貞一氏が「日本のマスメディア鵜呑み度は世界一」であると指摘しているが、私たちの実感と合う主張である。
リンク
しかも、日本の場合、マスメディアが流布する情報が基本的に均一である。
16社体制と呼ばれる、ごく少数の企業が日本のマスメディア情報空間を占拠してしまっている。
そのなかの10社はクロスオーナーシップでさらに同じ系列の5つのグループに集約され、2社ある広告代理店が民間マスメディアに多大な影響を及ぼしている。
このメディア・コントロールとメディア・リテラシーのあり方を是正することが、日本政治刷新、日本の民主主義確立に不可欠である。
東京新聞=中日新聞や北海道新聞が辛うじて政治権力に対する批判精神を維持しているが、圧倒的多数のマスメディアは政治権力の御用機関に堕してしまっている。
日本のマスメディア情報機関のなかで、とりわけ重大な問題がNHK問題である。
主権者国民は、NHKに対して間違ったイメージを植え付けられてきた。
NHKの報道を信用できる、信頼できると思い込んできた。
しかし、NHKは構造的に政治権力の支配下に組み込まれている。
政治権力の運用次第では、NHKの公共性は確保され得るが、このことは、逆に、政治権力の運用次第で、NHKの公共性がほぼ完全に失われることを意味している。
この点で、安倍晋三政権は歴代政権のなかで、最悪のNHK運営を指向しているように見える。
政治権力によるNHK支配を露骨に意図していることが明白に読み取れるのだ。
この問題と密接に関わるのが、NHKの放送受信料徴収の問題である。
12月3日付毎日新聞が1面トップで、
「NHK:受信料の全世帯義務化 ネットと同時放送で見解」
と報じた。
実際には、テレビのない世帯を含む全世帯からの受信料強制徴収ではなく、受信機器を設置する世帯からの強制徴収を企図しているのだと見られるが、そうだとしても大問題である。
NHK放送をまったく見ない世帯から受信料を強制徴収することは、憲法が保障する財産権の侵害であり、憲法違反であると考える。
問題は、安倍政権がNHK支配を強めるのと同時に、放送受信料強制徴収容認の方向に動いていると見られることだ。
NHKの卑劣な偏向報道については、これまで多くの事例を指摘し続けてきた。
NHKは報道機関ではなく御用機関そのものである。
NHKの解体的改革を断行することは、日本の民主主義を樹立するために必要不可欠な課題であるが、安倍政権の下で事態は真逆の方向に向かいつつある。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=285361
安倍政権1周年、国防軍反対デモも1周年 http://tanakaryusaku.jp/2013/12/0008448 @tanakaryusakuさんから
隣国の日中関係ばかりではなく、
小沢一郎代議士は、米国でも草の根交流を続けている。
先日の政経フォーラムでも少し触れられたニュースであるが、
このように日米、日中間での草の根交流については、
マスコミは何故か多くは触れない。
既得権益にとって、不都合なことは触れたくないのであろう。
あくまでも主導権は既得権益層にあり、
このような活動は黙殺して評価したくないのである。
このような良い例が過去にも民間人の間でも起こった。
高遠菜穂子さんの例である。
人権を守るボランティアに自主的に行動に出た民間人が、
政府の渡航延期勧告に従わなかったことで、
自己責任だと非難を浴びた。
時の小泉首相までが自己責任だ!・・・と非難を浴びせた。
しかし、イラク戦争の結果は如何だったか?
テロ国家と見做したイラクには、
大量破壊兵器は存在しなかったではないか。
それを当の米国政府自らが認めているのである。
http://3620065.at.webry.info/201312/article_21.html
こんにちは、皆さん、植田です。
一昨日、メールがありました。
以下、抜粋です。
「今回の掲示板の意識を保持したままと意識をなくす話は非常に興味があります。
ところで、私、植田さんのサイトをみてきて
律令理性人:だれを信じたらいいかで常に悩んでいて、自分では考えずに、信じた人の
いうことを無条件に信じる人
自然理性人:自分の頭で(論理的に?)考えて、結論を出す人。
なのかな?と勝手に結論したのですが、このような理解でも及第点をいただけますでしょうか?」
はい、余裕で、合格点です。
ポイントを見事についています。
皆さん、律令理性と自然理性を語るにあたって、長い説明は必要ありません。
以上の説明で充分です。
Tさん、メールをありがとうございました。
で、ついでに、日本人が律令理性人であるために、Tさんが説明された通りの事情にあるわけですが、それが、マッカーサーの言う「日本人の精神年齢は12歳」ということなのだ、としましょう。うまくつながりました。
さらにこれにつなげて、意識の問題といきましょう。
意識を消去することをもって、日本社会は、成長期にある青年期であっても、「大人」と見なす、と。
そうなると、近代西洋人の「大人」の概念と、語は同じであっても、内容が非常に異なってきます。
たとえば、目下、シチローさんのツイッターが突出して盛り上がっていますが、日本人のミス・ユニバースの事件。https://twitter.com/shichirom
* 「Kazunari Fujimoto ?@cazfuji 2時間
芸能界とマスゴミのクズっぷりが際立つね。終わっているわ。|ミス・インターナショナル吉松育美さん、芸能界の闇を告発「脅迫され命狙われてる」→日本マスコミ黙殺→海外では続々報道される」
これなども、私には、「日本人は12歳」説を裏付ける事件のような気がしますが、皆さんはどう感じますか?
以上を整理すると、
律令理性=日本人の精神年齢は12歳=意識の消去でもって、人を「大人」と見なすから。
そこで、私は、なぜ、意識の消去を、それほど重要だと日本人は考えるのか、と、ここを探求してみたくなりました。
何か、決定的な理由があるはずです。
今の時点の私の推測は、一昨日に書いたように、日本人の仏教の理解にあるだろう、というものです。
となると、日本人の仏教史の見直しが必要になります。
仏教は、もしかして、キリストが登場した時点で、ガラパゴス化を宿命づけられたのか?
史実では、その時点で、仏教は小乗から大乗仏教を生み出しました。これも、キリスト教の誕生への一つの反応でした。
しかし、私の直感では、今や、ここに、意識の問題に重要性を与える必要があります。
律令理性人を万年12歳に留めておく大きな要因として。
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/12596
AKBがアセアンの晩餐会で「日本的おもてなし」をしたのだそうです。
で、私はそれを、安倍政権の精神年齢は、マッカーサーが言ったとおりの12歳だから、と解釈しました。
念のために繰り返すと、「日本人の精神年齢は12歳である」、と断定したのはマッカーサーであって、私ではありません。
ここで考えてみたいのは、では、なぜ日本人は12歳から成長していかないのか、です。
言い換えれば、なぜ12歳で止まってしまうのか?
答えを、ふと、思いつきました。
仏教の修行にある「雑念を追い払え」ではないか。
さきほど会員コーナーに書いた最新の話題の、この掲示板での見出しに、
「古代では、意識(=雑念)を消すことが手順だったが、キリスト以後は、意識をキープしたまま、が新しい手順となった」
と書いたのですが、ここから思いつきました。
仏教は、キリストが登場する前に形成されました。だいたいのところで、紀元前6世紀です。
ということは、その時代の修行は、それがなんであれ、地球のどこでも、基本は、意識を消滅させることでした。インドに限らず、古代ギリシアでも、エジプトでもそうです。
そこで、意識を、私たちが日本語で普通に耳にする仏教用語である「雑念」と見なすと、仏教の伝統の中で育つ日本人は、意識を消滅させることを修行とみなすことになります。
ここで思うのは、ー余談ですが、これが私には徹底的にいやで、つまり、日本人の慣習の中で、最も反感を覚えたものですが、ー意識が消え去ることをもって修行と見なすのであれば、そこで、その人の精神の成長はストップするだろう、と。
ゆえに、日本人は12歳で精神の発育を終えるのである。
これが、安倍政権がAKBでアセアン首脳たちをおもてなししても平気であることの日本的精神構造ではないか、と考えた次第です。
つまり、日本人の意識には仏教の伝統が染み付いているがゆえに、成長できなくなっている、と。
それは、キリスト以前にはまったく正しい修行方法だったが、以後は、時代錯誤になってしまった。
それなのに、まさに日本列島がパレスチナから遠いために、日本人はキリストの影響を受けることなく、紀元前に正しかった修行方法を、今に至るまで継承することになった、と。
ツイッターの各氏を見ていると、このことを「恥ずかしい」と反応している人が目につきます。
今では、この反応が時代にマッチしています。
では、なぜ安倍政権は、このAKB問題に限らず、先祖帰りしているかのような政策を次々に繰り出すのでしょうか?
自民党には、くもの巣が張っているのか?
そして、霞ヶ関にも?
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/12595